大沢(宮城県気仙沼市唐桑町)

大沢
現・宮城県気仙沼市唐桑町(1889-唐桑村/1955-唐桑町/2006-気仙沼市
区域:第4区(沈水海岸)
湾形:乙類第五(湾内U字)


明治三陸津波(1896)
波高:6.5m*   *6.5m(C1934)
死者:178人
流失倒壊戸数:53戸
再生形態:集団移動

「縣道に沿ひたる現在の大澤部落は明冶29年津浪後、現地に組合組織を以て敷地造成を行ひ海岸低地部より移轉したるものである。」(C1934)

「29年の災害後一部が高地に移動しながら漸時不便に堪え兼ねて元屋敷に復帰した。」(Y1943/p.157)

宮城県唐桑の大沢では、明治29年の波高6.5mで、低地の57戸が流失倒壊し、死者187人を出したので被災者が組合組織によって段丘上に宅地造成を行い移動した。」(K1961/p.67)

「組合組織で敷地を造成して集団移動を行ったが、計画通りには全戸が移らなかったこと、原位置に造った数戸が浜に近く、漁撈作業に便で、数年津波がなく、豊漁がつづいたために、数戸は原位置に復帰してしまった。」 (Y1964a/p.68)

「[1897年集団移動が行われたが、その後原地復帰している。その要因には]毎日浜に通い、漁具、漁獲物を運ぶのに不便に堪えられないことの他、海面、船着場を眺め得る位置に移動していなかったことなども含まれている。」 (Y1966/p.160)


昭和三陸津波(1933)
波高:3.9m*   *3.90m(C1934)
死者:5人*   *5人(C1934)
流失倒壊戸数:20戸*   *71戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):16950坪*   *5.60ha(C1934)
浸水家屋:60戸*   *15戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:23戸
達成面積(坪):2114坪

昭和8年津高3.90mの津浪の襲來を被りたるも本部落は何等被害を受けず、單に海岸危險區域に再移轉したる數戸のみ昭和8年津浪の厄に遭ひたるものである。」(C1934)

「十五濱村荒、唐桑村只越の如く、適地を求め得ないための分散移動は反って稀である。」(Y1943/p.140)

明治29年に村の移動を實施した村々では、被害者は其の後の移入者、或は現地復帰者の一部に止まり、被害者のみが各自分散移動するやうになる。吉濱村本郷、船越村船越、唐桑村大澤の如きはその例に含まれている。」(Y1943/p.141)

「8年に再び災害を繰り返したのであった。これには漁民でありながら、海面域は船着き場を眺め得ない聚落の位置、毎日濱に通って漁獲物、漁具等を運搬する不便に堪えられぬ事、及び漁獲物の仲買人等で、漁獲物の水上げ場に居住しなければ、他に先んじられて生活に困難である等の種々の事情が含まれている。」(Y1943/p.157)

「唐桑村は総戸数の6割5分が漁業者であり、内、大澤は116戸中73戸が漁業者で占める。」(Y1943/p.154)

昭和8年は波高3.9mで段丘崖下まで達したが、移動したものは無事であった。しかし、低地に再建したものは流失倒壊71戸、死亡者5人を出している。」(K1961/p.67)


チリ地震津波(1960)



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fig.大沢:1933津波後の航空写真(C1934)

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fig.大沢:1933津波後の復興計画(C1934)

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fig.大沢:1947航空写真(国土地理院

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fig.大沢:1975航空写真(国土情報ウェブマッピングシステム)

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fig.大沢:震災津波前の航空写真(日本地理学会 津波被災マップ)

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fig.大沢:2011津波遡上範囲(日本地理学会 津波被災マップ[速報])

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fig.大沢:2011津波遡上範囲(日本地理学会 津波被災マップ)

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fig.大沢:2011津波後の航空写真(Google