小袖(岩手県久慈市宇部町)

小袖
現・岩手県久慈市宇部町(1889-宇都村/1954-久慈市
区域:第2区(隆起海岸)
湾形:甲類第三(外洋凸凹少)

「本州太平洋岸の海女の北限の漁村で、磯物は共同採取で、平等分配を原則とし、共同漁業による鰮を分配しては、海浜に各戸の〆粕製造の竃場を所有し、製品は共同出荷するなど、共同体的構造をもってい発達してきた。数度の津波の災害で、海浜漁家の高地移動を余儀なくされ、かつ漁法の急激な発達、漁民の生活、思想の進歩は、戸数制限までの共同体的生活確保ができず、高地に移動して、解放された分家は、段丘上の開拓農業に移り始めている。共同体的構造の集落は、古く戸数制限をして、災害に際して集団移動を遂げて成功しているものもあるが、被害が集落の一部に止まり、この高地分散移動が、同時に共同体的構造の崩壊をともなって、さらに分散移動を助長してゆくような例は多い。」(Y1965b/p.250-251)

明治三陸津波(1896)
波高:21.25m
死者:169人(宇都村)
流失倒壊戸数:48戸(同上)
再生形態:分散移動

明治29年當時は59戸あって、内36戸が流失、130人餘の死者を出したが、高地に移った家は9戸に過ぎなかった。それも本家、分家の分布が略略決定している程の動きのとれぬ古風の村であるから、移った跡の屋敷もそのまま1割をなして空けて置くやうな始末で、遂に内4戸は数年も経たぬに元屋敷に戻っていた。」(Y1943/p.114)

「海岸の数戸が分散移動したに過ぎなかったが、海岸斜面は密居集落で、敷地を得難く、もともと浜近く、便利であった屋敷が、集落の最奥の、最も不便な場所に移動する結果となり、年を経るに従って、たえかねて原地に復帰してしまった」(Y1966/p.157-158)


昭和三陸津波(1933)
波高:6.38m
死者:1人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:4戸
再生形態:分散移動
移動戸数:
達成面積(坪):

「8年には村としての被害は少々軽微であったが、その戻った1戸が再び流失して高地へ上る事となった。」(Y1943/p.114)


チリ地震津波(1960)



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fig.小袖:1948航空写真(国土地理院

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fig.小袖:1977航空写真(国土情報ウェブマッピングシステム)

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fig.小袖:2011津波遡上範囲(日本地理学会 津波被災マップ[速報])


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fig.小袖:2011津波遡上範囲(日本地理学会 津波被災マップ)

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fig.小袖:2011津波後の航空写真(Google