当サイトの主旨

東日本大震災は広範・多岐にわたる災害ですが、当サイトはそのうち三陸地域の津波災害に焦点を絞っています。その復興においては歴史観が問われると私たちは考えます。それはこの地域の津波被害が反復的で自然的なものであると同時に、人文・社会学的にも工学的にも歴史規定的であるという、その両面をいかに捉えるかが問われるという意味においてです。当サイトは、三陸地域の集落が経験してきた過去の津波災害とそこからの復興・再生の軌跡を理解するためのひとつの手がかりとして、先人の残した記録を集落別に集成するものです。

作成の指針:
1) 1896年、1933年、1960年の津波災害を対象とし、行政区域単位でなく集落単位での地理的変化にかかわる記録に重点を置く。
2) 初期的作業では、上記の3度の災害に関して網羅的な記録となっている文献を選択し、基礎的データとしての網羅性を担保する。
3) 資料的制約の範囲内で、都市から小村落までを広く対象とする。(20110429初回公開は40集落)
*個別集落のページに関する情報出典等の詳細は「当サイトの読み方」をご覧ください。

当サイトが活用した資料のなかで、福島県出身の地理学者・山口弥一郎(1902-2000)が200以上の集落について20年以上にわたり彼自身の足で採集した記録の数々はとりわけ重要な意味を持っています(他資料も山口からの引用と思われるものが少なくありません)。山口の研究により、集落空間の移動・復帰をはじめとする変化には、政府や地方団体の政策はむろんのこと、それぞれの集落の地形、災害の規模、集落の形成過程と社会構造、産業構成、民俗文化、流入者の振る舞い、他災害(戦争・火災等)といった多面的な要因が複合的に働いてきたことが明らかになっています。また、時間軸のなかで推移する状況そのものがつねに新しい力学的条件を生じ、次なる変化を連鎖的に引き起こすというダイナミズムも読み取ることができます。

復興・再生のあり方を描くにあたっては、まず何をもって「復興」「再生」とするのかが問われ、そこに向けて時間のマネジメントが求められるでしょう。そのとき、過去の事実と先人の観察は大いなる意味を持つことになると考えます。

当サイトで扱われているのは、1960年チリ地震津波までです。復興像を描く条件としては、以後の約半世紀間における三陸地域の産業・社会の変化が決定的に重要な意味を持つことは疑いえません。この期間に日本があらゆる地域にわたって経験した変化は、ある意味でそれ以前のあらゆる時期よりもドラスティックなものであったとも言われます。その意味で2011年の災害の特異性を考えなければならないことはむろんですが、それもまた歴史的に測るほかありません。

なお、当サイト作成作業にあたり、都市計画遺産研究会「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」の精力的な作業に大いに刺激を受けるとともに、都市計画に携わる学徒としての真摯な姿勢と見識に啓発されたことを申し添えます。

(作成=明治大学理工学部建築学科 建築史・建築論研究室/文責:青井哲人